uomasa2009-08-11

朝方、地震あり。
揺れで目が覚める。
夫は一瞬だけ目を覚まして、すぐに寝てしまったのでTVを つけて状況を知りたかったけれど、あきらめて寝る。
静岡が震源地、震度6弱
京都新聞の記事*1に、



静岡市駿河区のマンションで女性会社員(43)が大量の本に埋もれた状態で死亡しているのが見つかり、静岡県警が地震との関連を調べている。


という記事があり、この亡くなった女性は相当の本好きだったのだろうと想像する。
何の縁もゆかりも無いけれど、ご冥福をお祈りします。



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図書館の入り口で、聞こえた親子の会話。
母「ちょっと、傘、持っといて」
子「なんでー」
母「置いといたら、パチられたら あかんやん」


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いっぱい付箋をつけたくなるような言葉の数々。
ちょっと、長いけれど特に納得したところを抜粋。



「疲れる」という場合、身体のエネルギーだけではなく、心のエネルギーの消費も関係していることを認識すべきである。身体のエネルギーは使えば減り、食事や睡眠によって補給する。この循環がうまくいっていると、少々の無理をしても回復する。
これに対して、「心のエネルギー」は使えば減るのだが、ある意味では、上手に使えば使うほど増えるようなところがある。
(中略)
たとえば、看護師さんが面倒くさがらずに、患者さんに丁寧に接したりしたとき、患者さんが心から「ありがとうございました」と言い、それが自分の心に届くと、心のエネルギーを患者さんからもらうことになるのだ。つまり、心のエネルギーの循環がよくなると、それは与えることともらうことが適切に進行し、自分の心のエネルギーが減少することがないのである。時には、自分の使った量より、もらうほうが多いと感じるときさえある。
ところが、いわゆる「カタイ」人は、自分が人のために役立つのだ、ということのみ心を奪われているので、せっかく相手から送られてくる心のエネルギーを受け止め損ねてしまう。つまり、自分はエネルギーを消費するのみになってしまうので、「燃えつき」てしまうのだ。


私は、とても疲れやすい。すぐに、疲れるし、疲れが なかなかとれない。
体が虚弱で、体力が無いというのもあるのだろうけど、これを読んで、深く納得した。
私は、かたくなで、いわゆる「カタイ」心の持ち主なのだろう。
怖がりで、どんなエネルギーが人から送られて来るか信用ならないので、いつも、心底では ぴったりと心を閉ざしているのだ。
人から受け取るべきエネルギーも ぴったり閉ざして、受け取らない。
人と接すれば、接するほど、自分が すり減ってしまうような気持ちになる。
エネルギーを 消費するだけで、ひたすら、消耗したような気持ちになり、疲れるのだろう。


心のエネルギー、受け取れるようになりたい。